色覚異常制限の歴史
色覚異常の職業的な規制は、鉄道・海上を安全運行するために19世紀のヨーロッパで始まりました。
1855年 Wilson G(エジンバラ大学教授)から、学生に色覚異常者がかなりいて、鉄道・船舶の業務に支障があるとの報告 。
1858年 フランス鉄道会社が規制を設ける。
1873年 Favre A(パリ・リヨン地中海鉄道の顧問医)が色覚異常の頻度と、事故の危険性を報告。
1877年 Holmgren Fがスウェーデンの列車事故が運転士の色覚異常のためであるとして、スウェーデン国鉄に規制を設けさせる。同じ時期に海軍士官も色覚正常であるべきだとした。
1909年 日本で陸軍が将校に色覚異常者を採用しなくなる。
1916年 石原忍が仮性同色表を作成。石原式色盲表はTest for Colour Blindnessとして世界的に使用されるようになる。
1920年 日本で義務教育中の色覚検査が規定された。
 第一次大戦後、航空機の発達から空港灯火、表示灯の視認に関して色覚異常の規制が始まりました。現在は、国際民間航空機関が操縦士の色覚の基準を定めています。実施の裁量権は各国に任されていますが、日本を含め多くの国が規制しています。
 日本での職業規制については、1966年大熊*が主要企業1,117社の調査を報告しており、それによると制限は技術系で厳しく、サービス業・不動産業以外の業種50%以上で制限がありました。制限の理由は、実際に支障があったからではなく、支障が予測されるというものが多くありました。具体的には、製品の色分け、色材料、色伝票、印刷、繊維製品の選別、交通などが一律に制限されていました。
 近年では、各種の障害者にもなるべく門戸を広げる風潮となり、色覚異常も入学制限から外され、職業制限も見直されました。現在では、色覚異常による職業の制限は根拠のはっきりしないものはなくなり、特に色識別を必要とする職種に限られるようになりました。
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